2012年4月26日木曜日

闇の子供たちを、幼児売買春、臓器密売から救う。 タイだけではない! 24時間テレビ プロジェクト・フォーチルドレン 「カンボジア レポート」


for Children (フォーチルドレン)は団体ではありません。
for Children (フォーチルドレン)「理念」であり「プログラム」なのです。

えっ?と思われるあなた、ボランティア団体なのかと勘違いしているあなたに聴いて欲しいことがあります。

「世界の子供たちのために支援を!」と言うと、多くの人たちが、「どこかのボランティア団体に参加しよう」とか「ボランティア団体を設立しよう」と考えるかと思います。

でも、そのように行動でき継続し続けられる人は、ごく限られてるのではないでしょうか?
「仕事や家事をしながら時間は作れるの?」「設立資金や活動資金はどうするの?」
つまり支援活動と日常生活が両立できるのかと言った問題に直面するからです。

ましてや「世界の子供たち」となれば「英語が出来なければ...」とか「医療者みたいに特別な技術がなければ...」と思いますし、大抵の人がこれらのハードルでつまずいてしまうはず。

もしかすると、あなたもそうだったのでは?

私もそうだったのです。

だって、未だに私は支援活動と日常生活の両立ができず、薄い氷の上に立つような想いで「このまま続けようか、それともやめようか」と日々迷い続けているのですから...。

支援活動に没頭すればするほど資金難に陥り、さらには自分自身の生活までも脅かされ、それでも「これは人生の修行だから」と自分に言い聞かせて済ませられれば良いのですが、このような状態が続くと、どうしても周囲の人に迷惑をかけてしまうことになります。

その結果、身近な人間関係は崩れてゆき、ついには「どうやっても両立なんて無理...」と落胆し、「このままでは日常生活が破綻する」と思い悩む反面、「どんなに苦しくても始めたからには最後までやり遂げなければ....」 「一度挙げた手は絶対下げないで頑張り続けるぞ....」 と自分への無理な鼓舞をしてしまうほど追い詰められた精神状態になることもしばしばなのです。

志を立て9年たった今でも支援活動と日常生活の両立は私にとって大きな課題のままなのです。

英語にしてもそうです。
はずかしい話ですが、私がペラペラ話せる文はこれだけ。

「How many tigers are there in the zoo?」
「あそこの動物園にトラは何匹いますか?」


ターナー滝、マサチューセッツ州のサードストリート

中学生の時に丸暗記したものです。
こんな会話、日常で使うことってあります?

ありえませんよね。

もう少し勉強しておけば良かったなんて後悔してみても今更遅く、いつも海外へ行くときは必ず「旅行用の英会話本」を持っていかなければどうにもならないほど英語が話せないのです。

余談ですが、なぜ「for Children」なのか?ですが、カンボジアレポートのなかでも触れているように、カンボジアの首都プノンペンにある「HCCグッドデイセンター」(障害・エイズ孤児のための施設)に寄付をしようとアポなしで訪問したときのことです。

勝手に門を潜って中庭に入ったとたん警備員のおにいちゃんにすごい形相で呼び止められ、英語でペラペラまくし立てられました。(彼もあまり英語が得意ではなさそうでしたが....)

英語がまったくできない私はその勢いにかなりひるみながらも、たぶん、「何しにきたのか?お前は誰だ!」と言ってるだろうと、とっさに彼の表情から言葉の意味を読み取り、思わずポケットの中にあったお金を全部取り出し、必死で(きっと彼からも私の形相は恐ろしいものに見えてたでしょう)頭の中にある数少ない単語を思い出そうとした瞬間、思わず「for Children!」と叫んでいたのです。

for Children!このたった一言が私の想い全てを伝えてくれたのです。

彼はすぐ笑顔に変わり、ほかの女性職員を呼んでくれました。
彼は「この人は寄付に来たらしい、施設の中を見せてあげられないでしょうか」と言ってるようで、その後女性職員が親切に施設の中を案内してくれました。
さらに、2日後に再度訪問して良いとの約束までしてくれたのです。

そのときは
英語が話せなくたって一生懸命気持ちを伝えようとすれば的確な言葉が自然と湧き出てくるもんなんだなぁ、と自分でもびっくりでした。

帰国後、「何かしなければ...さしあたり日本でも起こせる行動を...その理念を象徴できるようなフレーズが欲しいな...」そう思ったとき思わず浮かんだのが「for Children!」、英語ができない者同士でも通じる、あの時の言葉だったのです。


エジプトでは、いくつかの重要な休日は何ですか?

よし、簡単で理解が得られやすいこの言葉から始めよう!この言霊をもってみんなへ伝えよう!そう思い立ち、このプロジェクト名を「for Children」とした訳です。

英語が駄目でないと起きなかった体験であり、出てこない発想だと思いませんか?
私がどれだけ英語が話せないのか、これでお分かりになったと思います。

「ふ〜ん、ところで生活との両立や英語ができないことは分かったけど、君には映像制作やWEB製作と言った武器があるじゃない」

そんな声が聞こえてきそうですが....とんでもありません。

映像はビデオカメラさえあれば、誰だって撮れます。
WEB製作だって今では「ホームページビルダー」などの簡単な作成ソフトがあるので誰でも作れます。
これらは、綺麗な絵が描けるとか上手に楽器が演奏できる、みたいな才能に左右されるものではなく、ただボタンを押したりマウスを動かせばどうにかなる程度のスキルでしかなのです。

私には何一つ特別な技術がある訳ではないのです。

では、なぜこんな私なのに、このような行動ができ継続し続けられたのでしょう?

理由を挙げるならば、次の3つでしょうか。

「どうせ非営利活動だからと開き直って貧乏を決め込み、維持費や設備費が掛からない質素な運営体制にした」
かっこいいオフィスでもなく、ただのマンションの一室で、綺麗な看板なんてありません。
事務局の裏にあるのは、なんと墓地。

「特別な能力はないので誰にでも出来そうな技術の中から選び、比較的習得しやすく、すぐに収益に結びつきやすそうな映像制作とWEB製作を武器とした」
専門家の手ほどきを受けたのは始めの頃、たった数ヶ月間だけです。
しかも、習得した技術のほとんどは活動を初めてから実践の中で掴み取ったもの。

「自分は<丸出だめ夫(まるでだめお)>だと自覚し、見栄を張らず助けてくれる人々の善意を素直に受けた」
やっぱり、ここが一番の根拠であり原点ですね。

「私は無力だけど、そこにたたずむ」、そう心に決めてしまえば、英語ができなくかっこ悪くても、きれいなオフィスでなくみじめでも、たいした技術もなくあまり役に立たないと思われても、へっちゃらなんですよね。
逆に、その方が物事が上手く行くように今では感じてます。


虹滝ファミリーパーク

そのことは、先ほどの、なぜ「for Children」なのか?の内容からも理解して戴けるかと思います。
もしあの時、私がスマートなコミュニケーションができていたら、「for Children」と言うフレーズは会話の中にかき消されてしまい、英語が話せない者同士でも確実に相手へ伝わるこの言霊を得ることはできませんでしたし、その後にできた警備員のおにいちゃんとの濃密な関係もなかったかと思います。(2回目の訪問後、意外なかたちで彼との絆が深まりました。詳しくはカンボジアレポートにて)

当然ですが、できないことに胡坐をかいてる訳ではありません。
こんな私でも、いつかは英語がペラペラに....みたいな上昇志向は常にあります。
ただ、そうなれる前にアクションを起こしたかっただけなのです。

どうですか?もう、あなたは気付きましたよね?

この3つの理由の中に「誰にでもすぐ世界の子供たちへの支援が始められるロジスティックス(方法論)」が内在していることを!

もし、あなたがサイトの冒頭にある
「英語ができなくたって、日本に居たままだって、世界中にいる手を差し伸べなければならない子供たちへのサポートはできるはず!」この言葉に心が揺り動かされていたのなら....もし、あなたが今すぐ子供たちのために活動したいと思う自分をすでに悟っているなら、その想いに応えるためにも、私は長年の経験と思索から得た私だけの実践的ロジスティックスをあなたにプレゼントしたいと思います。

かたちや組織に囚われることなく、身軽で自由に。
できないもので勝負する前に、今できることで成し遂げる。
最大のコミュニケーションスキルはノンバーバル(言葉に頼らない、その人なりの内面からにじみ出る表情や雰囲気)なものであることを知る。

この3つのロジスティックス、是非ともあなたに身に付つけて欲しいと願っています。
きっと実践に一歩近づくはずですから。

もちろん、NGOなどのボランティア団体に参加したり、自身で団体を立ち上げ多くの賛同者を集め大きなムーブメントを起こすことができるのであれば、その方が素晴らしいことだと思います。

英語や支援先の言語ができれば、より深いコミュニケーションも図れますし、特別な技術があったのなら活動のスピードも加速させることができるでしょう。
それと、なによりもあなた自身が周囲から求められる存在になれるはずです。


しかし、今のあなたにとって、それ自体が高いハードルであるなら無理にかたちやスキルにこだわる必要はないのでは?

今のあなたにとって本当に必要なのは、一日でも早く実践でき、相反する支援活動と日常生活の両立が図れる方法を身に付けること。
その為に、あなたなりの支援活動に対する理念を打ち立て、あなただけの有形無形なプログラムを実行することではないでしょうか?

これが世界の子供たちに向かってあなたが踏み出すファーストステージ、for Childrenなのです。

なぜ、子供たちが虐待されるの?
どうすれば、子供たちを救えるの?
私に今できることは何?保護?見守り?自立支援?
必要なのは、水?食料?医療?教育?愛情?

まずは、あなた自身が考えることから始めます。

そしてあなたなりのアクションプログラムを開始します。

お金を掛ける必要はありません。
誰かと一緒でなくても良いのです。

例えば、NGOに参加しなくても、代わって参加への呼びかけはできるはず。
団体だって創らなくても、情報提供したり、支援者を繋げてあげることはできるはず。

固定観念に囚われなければ、どんな支援活動だって今すぐ簡単に始められるのです。

だから、もう一度だけ、あなたに伝えます。

for Children (フォーチルドレン)は、かたちに拘らずより実践的な個人から始める世界の子供たちへの支援活動です。

for Children (フォーチルドレン)は、世界の子供たちを支援するために確立すべき理念であり、あなたがこれから実践するプログラムの基本コンセプトとなるものです。

for Children (フォーチルドレン)は、あなたと世界の子供たちを繋ぐ最初の扉、あなたが自分をチェンジしていくファーストステージなのです。



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