2012年5月31日木曜日

ピックアップ@アジア 「内戦終結から2年 スリランカは今」 | ほっと@アジア 「ピックアップ@アジア」 | 解説委員室ブログ:NHK


(冒頭VTR)
26年にわたって激しい内戦が続いたインド洋の島国スリランカ。2年前、政府軍が武装勢力に勝利し、内戦が終結しました。しかし、内戦末期の戦闘で武装勢力に人質に取られた数十万人の住民に多くの犠牲者が出たことをめぐって、スリランカと欧米諸国との間で対立が続いています。先月、国連が武装勢力と政府軍の双方に責任があるとする報告書を発表。これにスリランカ側が激しく反発しています。

▼スリランカ、ラジャパクサ大統領ON
「武装勢力は住民を人間の盾にして攻撃してきた、我々は彼らを救ったのだ。それが犯罪だというのか?」。

この2年間、内戦に勝利したラジャパクサ大統領の独裁体制が強まり、経済的には急速な復興が進んでいます。内戦終結から2年が立ったスリランカの今を検証します。

「内戦終結から2年 スリランカは今」

(吉井歌奈子キャスター)
Q1:スリランカでの内戦は26年間も続いたということですが、改めてどんな内戦だったのでしょうか?

(山内聡彦解説委員)
A1:これは少数派と多数派の民族間の紛争で、アジアで最も長い内戦の1つでした。

 

 

 

 

 

 

 

2012年5月19日土曜日

ナゼ・ナニ・マジック ■日々是・デックス part16「ブライトニングフェアリー」


■日々是・デックス part16「ブライトニングフェアリー」

4《崩れゆく死滅都市》
4《人里離れた谷間》
4《変わり谷》
4《島》
3《滝の断崖》
2《沈んだ廃墟》
2《鮮烈な小川》
1《反射池》
1《沼》
4《霧縛りの徒党》
4《呪文づまりのスプライト》
2《川の殺し屋、シグ》
3《呪詛術士》
3《ヴェンディリオン三人衆》
4《苦花》
4《謎めいた命令》
4《稲妻》
4《荒廃稲妻》
3《破滅の刃》

1《呪詛術士》
3《火山の流弾》
3《くぐつ師の徒党》
4《死の印》
2《エレンドラ谷の大魔導師》
2《瞬間凍結》

・取扱説明書

 本日行われたPTQオースティン神奈川予選に参加したデッキです。草の根大会に参加することが少ないため、詳しい情報を知るべく、常連の人達に聞いてみたところ

「メタはフェアリーとトーストだよ」

2012年5月18日金曜日

次長検事 次席検事 検事長 - 法律 - 教えて!goo


 次長検事は,最高検察庁に置かれ,検事総長の次位のポストになります。検事総長を補佐し,検事総長に差し支えがあるときに,検事総長の職務を代行します。1人しかいません。

 検事長は,高等検察庁のトップです。全国で8人います。

 検事総長,次長検事,検事長は,それ自体が官名になります。ですから,検事総長が次長検事になったり,次長検事が検事長になることは,普通はあり得ません。(降格になります)

2012年5月16日水曜日

弁護士と闘う - Yahoo!ブログ


 秋田市で昨年11月、弁護士津谷裕貴さん=当時(55)=が刺殺された事件で、殺人や住居侵入などの罪に問われた無職菅原勝男被告(67)の裁判員裁判の論告求刑公判が5日、秋田地裁(馬場純夫裁判長)であり、検察側は無期懲役を求刑した。弁護側は「被告の行為と死亡に因果関係は認められない」として、殺人未遂罪にとどまると主張している。
 公判では津谷さんの実弟の聡さん(55)や妻の良子さん(54)らが論告に先立ち意見陳述。

良子さんは「命をもって償うべき罪がある」と涙声で訴えた。弁護側の最終弁論と被告の最終意見陳述を経て結審し、判決は9日。

 

弁護士と闘うです

2012年5月14日月曜日

̾եꥹABC



Сʡ륺

ѥ롤ꥢ

ѥ롤

ѥ,

ѥ롤ǥå

ѥ,CCH

ѡ

ѡ,

ѡ,顦

ѡ

ѡ,

ѡ,ƥ֥󥽥

ѡ,ᥢ꡼륤

ѡ,Υ

ѥ󡤥

ѡ󥹡󥽥ˡ

ѡ󥹡ꥶ٥

ѡ,СХ

ѡ,ߥ꡼

ѥ̡,ƥ

ѡ,ޥ

ѥȥ,ӥ

ѥ,祢

ѡ,̥

ѥå,ǥ֥

ѥå,˥

ѥ,٥

ѥ,ɥꥢ

ѥƥ,硼

ѡ,꡼

ѡ,ͥإޥ

ѡ,ƥ

ѡ,ʥ󥷡

ѥ,

ѥΡ

ѥåƥ,祤

ѥåƥ󡤥ӥ󥻥ȡХ

ѥåȥ,

ѥƥ󥭥,ޥǥ

ѥȥå,

ѥȥå,ʥ

ѥȥå,С

ѡȥ,ɥ꡼

2012年5月11日金曜日

Cumberland Gap カンバーランド峡谷


ケンタッキー紀行


Cumberland Gap カンバーランド峡谷

18世紀後半、アメリカ十三州植民地の西には巨大な壁のようにアパラチア山脈がそびえており、 

西部をめざす開拓者たちは、まず、この山々を越えなければなりませんでした。 

この山越えルートとして最も有名なのが、カンバーランド峡谷といわれる峠です。

ちょうど、ケンタッキー、テネシー、ヴァージニア三州の境界にあたっています。 

ダニエル・ブーンを始め、多くの開拓者がここを越えてケンタッキーをめざしました。 

いまでは一帯が国立公園になっています。 

Visitor Center 案内所には、カンバーランドの歴史や自然についての紹介展示、 

工芸品も売っているギフトショップが併設されています。 

ここで周辺地図をもらって、出発です。 

 カンバーランド峡谷を望むことのできる山の頂上(744m)のすぐ近くまで車で行けます。  

 さすが、アメリカ、とってもらくちん。 

 峠の標高は488mあまり、開拓者はこの山の狭間を抜けて北へ進みました。  

2012年5月10日木曜日

Local News, Weather, Food, Hotels, And Travel Information For Beacon Falls, Connecticut


Clarion Hotel & Suites (Hotel)
2260 Whitney Avenue, Beacon Falls, CT
(203) 288-3831
 
Hampton Inn Waterbury (Hotel)
777 Chase Parkway, Beacon Falls, CT
(203) 753-1777
 
<img class="marker" onclick="javascript:map.

2012年5月8日火曜日

ウォール街大暴落 (1929年) - Wikipedia


1929年のウォール街大暴落(ウォールがいのだいぼうらく、英語: Wall Street Crash of 1929[1][2])、または大暴落(英語: Great Crash)、1929年の株価大暴落(英語: Stock Market Crash of 1929)は、その影響の広がりや期間を考慮に入れればアメリカ合衆国の歴史の中でも最大級に壊滅的な株価大暴落である。

この株式の崩壊を表すために、「ブラックサーズデー」、続いて「ブラックフライデー」、「ブラックマンデー」および「ブラックチューズデー」の4つの段階が通常使われている。大暴落は1日の出来事ではなかったので、この4つの段階はすべて適切である。最初の暴落は1929年10月24日(木曜日)に起こったが、壊滅的な下落は28日(月曜日)と同29日(火曜日)に起こり、アメリカ合衆国と世界に広がる前例の無い、また長期にわたる経済不況の警鐘と始まりに急展開した。株価大暴落は1か月間続いた。

経済学者や歴史家達はこの株価大暴落がその後の経済、社会および政治のできごとにどのような役割を演じたかについて意見の一致をみていない。「エコノミスト」誌は1998年の記事で、「手短に言えば、世界恐慌は株価大暴落と共に始まったのではない」と主張した[3]。さらに大暴落の当時に、世界恐慌が始まったのかどうかは明らかではない。1929年11月23日、「エコノミスト」誌は、「大変深刻な株価大暴落が工業生産の大半が健全でありバランスが取れていたときに工業に深刻な後退を生むだろうか?...専門家は、幾らかの後退はあったに違いないが、それが長引くものか、全体的産業不況を生み出す期間まで続く必要があったかを証明する十分な証拠が無いことに同意している。」と問いかけた。しかし、「エコノミスト」誌は、「幾つかの銀行は疑いも無く破綻し、また今後も予測されている。このような状況下で銀行は商業と産業の資金を繋ぐ余力があるだろうか?ないだろうか?銀行の位置付けは疑いも無くこの状況下のキーであり、何が起ころうとしているかは霧が晴れるま� �適切に評価できるはずがない」とも警告した[4]

1929年10月の大暴落はアメリカ合衆国における不動産価格の低落時期(ピークは1925年だった)に来ており、工業化諸国における経済後退時期である世界恐慌に導く一連の出来事の始まりに近い時であった。

[編集] 大暴落以前

大崩壊の当時、ニューヨーク市は世界の大都市となり、そのウォール街は世界の指導的金融センターの一つになった。ニューヨーク証券取引所は世界でも最大級の株式取引所だった。

大暴落に先立つ10年間、すなわち狂騒の20年代[5]は、都市における富と過剰の時代であり、投機の危険性について警告があったが、多くの者は市場が高い価格水準を維持できるものと信じた。1920年代半ばから上昇を続けたダウ工業株平均は、1928年から1929年にかけて急速に上昇し、アメリカの一部に株投資ブームを起こしていた。1929年の夏以降には工業指標は下向きはじめ、株高を危ぶむ声もあったものの、ウォール街や経済学者の中にはこれを一蹴する意見もあった。大暴落の直前、経済学者アーヴィング・フィッシャーは、「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」という有名な予言を行っていた[6]。しかし、大きな強気相場の中での楽観論と金融上の利益は、ニューヨーク証券取引所の株価が崩落したブラックサーズデーに雲散霧消した。この日に落ちた株価はさらにまるまる1か月間前例のない率で落ち続けた[7]

ブラックチューズデーまでの数日間、市場は非常に不安定だった。売り先行と大量取引の間に短時間価格上昇と快復の期間がちりばめられた。経済学者で著作家のジュード・ワニスキーは後に、当時アメリカ合衆国議会で論じられていたスムート・ホーリー法の成立見込みとこれらの変動を関連付けた[8]。大暴落後、ダウ工業株平均は1930年初期に回復したが、反転して再度暴落し、1932年の大きな下げ相場の中で最安値に達した。1932年7月8日、ダウ工業株平均は20世紀始まって以来の最安値となり、1954年11月23日まで1929年に達した水準まで戻ることはなかった[9][10]

1929年央に株を購入し持ち続けていた者は誰でも、株価が回復するまでにその成人してからの人生の大半を費やすことになった。

2012年5月6日日曜日

Autodesk - Autodesk MapGuide Enterprise


Autodesk MapGuide Enterprise

2012年5月5日土曜日

Groovyを使って、より高速にJavaコードをユニット・テストする


告白から始めましょう。私はユニット・テストの中毒患者です。実を言うと、いくらユニット・テストを書いても書き足りません。ずっと長い間、何かに対応するユニット・テストを書かずにいると、震えが来てしまいます。ユニット・テストによって、自分のコードが動作すること、壊す心配をせず瞬時に変更可能だと安心できるのです。

さらに、中毒患者なるが故に、私はテスト・ケースも書きすぎてしまいがちです。ただし私がハイ(興奮状態)になるのは、テスト・ケースを書くことから来るのではなく、その結果を見ることから来ています。ですから、もし私が非常に速くテスト・ケースを書くことができれば、もっと早く結果を見ることができます。そうすれば私はもっと気持ちが良くなります。そう、もっと早く。

最近私は自分のユニット・テスト中毒を抑えるためにGroovyを見ているのですが、少なくとも今ままでのところ、正に驚嘆しています。この新しい言語がユニット・テストにもたらすアジリティ(agility)には興奮すべきところがあり、真剣に調べるだけの価値があります。Groovyの実用的な面を紹介する新しいシリーズの第1回として、今回はGroovyで行うユニット・テストがいかに楽しいものであるかを説明します。最初はGroovy がいかにJavaプラットフォームでの開発に貢献するのかから始め、JUnitのTestCaseクラスのGroovy版エクステンションを特に強調しながら、GroovyとJUnitによるユニット・テストの詳細に入ります。そして最後に、そうした素敵(groovy)な特徴を生かして、EclipseやMavenと統合するにはどうすべきかを実例を示しながらまとめることにします。

さらば、純Java主義よ

Groovyによるユニット・テストの実際面に入る前に、より一般的な問題、つまりGroovyが開発ツールボックスの中で占める位置を考えることが重要だと思います。実際のところGroovyは、Java Runtime Environment (JRE) 上で実行する唯一のスクリプト言語というわけではなく、Javaプラットフォーム用の標準言語として提案された唯一のものだ、ということです。alt.lang.jreシリーズ(参考文献)を見たことがある人もいると思いますが、Javaプラットフォームのスクリプト化には山ほどオプションがあり、その大部分は高速なアプリケーション開発のための、高度にアジャイルな環境を提供するものです。

こうした豊富な選択肢がありながら、開発者の多くは自分たちが好きな、そして一番慣れているもの、つまりJava言語を選択してしまっています。大部分の場合、Javaプログラミングは妥当な選択なのですが、Javaのみに凝り固まってしまうことには一つ、大きな問題があるのです。ある賢人が、次のように言っています。「手元にある道具が金槌しか無い場合には、どんな問題も釘に見えてしまうものである。」これはソフトウェア開発にも大いに当てはまる真実ではないかと思います。

このシリーズで皆さんにお伝えしようとしているのは、アプリケーション開発における選択肢はJava言語のみではなく、Java言語のみに限定すべきものでもない、ということです。さらにまた、スクリプト言語は、他の場合には丸で意味をなさなくても、ある場合には意味があるのだということもお伝えしようと思っています。プロフェッショナルが初心者と違うのは、どういう場合にスクリプトの力を借りるべきか、逆にどういう場合にスクリプト化を避けるべきかを知っている、という点なのです。

例えばハイ・パフォーマンスでトランザクションが集中する、企業全体に渡るようなアプリケーションであれば、スクリプトには向かないものです。こうした場合には通常のJ2EEスタックが最適かもしれません。一方スクリプトは、特にGroovyでのスクリプトは、コンフィギュレーション・システムやビルド・システムなど、あまりパフォーマンス重視ではない、小さな、非常に特別なアプリケーションでは、大いに意味をなすものです。またレポート・アプリケーションや、そしてなによりも重要な、ユニット・テストなどにも、ほとんど完璧と言えるほどに適しています。

なぜGroovyでユニット・テストなのか

他のスクリプト・プラットフォームと比べてGroovyが特に魅力的なのは、Javaプラットフォームとスムーズに統合できることです。JRE用の他の代替言語はJava以前のものに基づいたものが多いのですが、Groovyはそれらと異なりJava言語に基づいているので、Java開発者にとっては驚くほど短期間で習得できます。そして一旦習得できれば、他とは比較できないほど高速開発が可能なプラットフォームとなるのです。

Groovyの持つ強力さの秘密は、その構文にあります。Java構文ではあるのですが、はるかに規則が少ないのです。例えばGroovyではセミコロンが必要なく、また変数タイプとアクセス修飾子はオプションとなっています。さらにGroovyはCollectionsFile/IOを含めて、皆さんが既にお馴染みの標準Javaライブラリーを利用しています。そして最後に、JUnitを含めて任意のJavaライブラリーを、Groovy内部から利用できます。

規則を緩めたJava風の構文を採用していることや標準Javaライブラリーを再利用していること、またビルドから実行までのサイクルが短いことなどから、Groovyはユニット・テストを素早く開発するための選択肢として最適なのです。ただし私の言葉だけから信用しないでください。コードで実際に見てみましょう。

JUnitとGroovy

2012年5月2日水曜日

デニムくん細腕繁盛記・『現実と理想との狭間で』


デニムくん細腕繁盛記・『現実と理想との狭間で』

●レオナールの仲裁●

ヴァイスと一騎打ちをしていたんだけど、ヴァイスの意外な弱さに戸惑っている間に誰かが割って入ってきた。

(ばたんっ)←騎士、扉を開けて中に入ってくる

「そこまでだ、二人とも。」 (レオナール) 

れ・・・レオナールさん!

「な・・・何故止めるッ!こいつを殺せといったのは、あんたらじゃねぇか!」 (ヴァイス) 

「頭を冷やせヴァイス!お前達が争っていられる状況ではない。よく私の話を聞け!デニム、君も聞くんだ。」 (レオナール) 

・・・僕に、今更何を聞けというんですか?

「ふむ、君はもう少し冷静な奴だと思っていたがね。だが、哲学を語っている暇はないッ!」 (レオナール) 

「・・・」 (ヴァイス、デニム) 

「古都ライムが陥落した。バクラム軍がここへ押し寄せてくるぞッ!」 (レオナール) 

何だと!?」 (ヴァイス) 

ライムが・・・ランスロットさん、ランスロットさん達はどうなったんだ!?

「知らん。ともかく、これ以上、同胞同士で争っている場合ではない。デニム、公爵に・・・いや、我々に従え!今までのことはきれいさっぱり忘れよう。我々が戦う場所はここではない。戦う相手も違う!」 (レオナール) 

ちょっと待てレオナール!何を馬鹿なことを言い出すんだ、こいつは・・・」 (ヴァイス) 

「いい加減にしないかヴァイス。聞き分けろ。」 (レオナール) 

「くっ・・・」 (ヴァイス) 

バクラム軍が動き出したのか・・・。ランスロットさん達は、無事なんだろうか・・・。
しかし・・・もう一度公爵の力になれ、だって?そんなの・・・できるわけが・・・。

「君の理想はわかっている。だが、もう君も嫌というほど現実を見てきただろう?人は自らの幸せの為に、一切れのパンの為に人を殺す。明日の平和の為に人を殺していく。どんな理想を持っていても、所詮人を殺していく戦争屋なのだ。そう思ったことは、一度もなかったかね?」

・・・僕は、理想を盾に、人を殺してきたのか・・・?僕達が殺してきた敵の血も、バルマムッサの住人の血も、違いは・・・。

「・・・。崇高な理想も、実現できなければただの夢だ。夢オチなんて読者が赦しはしないぞ?

何の話ですかレオナールさん。